2015年8月27日木曜日

使命感


たまに バスで一緒になる 
名も知らぬご老人には、使命がある。
それは、停車ボタンを自ら押すことである。

一度でも乗車した経験が おありならご存知のように、バスは ボタンを押さなければ止まらない。

『ある例外』を除いて、自分の意思を表示しなければならないのだ。

自分以外に、降りる乗客がいれば便乗できるが、万一降りるのが 自分1人だった場合、のほほんと構えていると  乗り過ごしてしまう。

誰かに 頼っては いけないのだ。

だから、ご老人はボタンを 押す。
年齢を重ねても、受身にならず 行動的なのは 素晴らしいことである。

ただ…。
悲しいことに、毎回 冒頭の『ある例外』にあてはまってしまうのだ。

つまり、

このご老人はいつも終点で 降りるのである。

終点は、何もせずとも自然と止まるので 皆押さない。


だが、ご老人は 日本人特有の控えめな譲り合いのせいで 周りは押さないのだと思っておられるのだ。

だから、自分の意思を 指先にこめ、高らかに主張させるのだ。

おそらく、押さずとも止まるという事実を一生気づくことはないのだと思うと、とても切なくなる。

切なさメーターLevel4くらいである。

この切なさ、現地で苦労して手にいれたんだよと、誇らしげに渡された とある国の銘菓は、地元の百貨店にも売ってるんだぜと言えない感覚に似ている。
…。
まあ、銘菓はどこで買ったって美味しいことに変わりないから ちょっと違うかもしれない。