2015年9月4日金曜日

暴走


最近、ある一連のニュースを見るのが 辛い。

日々、凄惨な事件は 起きているし 世界に目を向けるともっと 残虐で理不尽な不幸がある。
それらに比べると、こじんまりとした島国の ある出来事なので 申し訳なくなる。

でも、こんなにも 悲しくて やりきれなくて 怒りすら感じてしまうのは、『正義の暴走』を目の当たりにしているなのかもしれない…。
まさか、ここまで するなんてな…。

笑っていただいて構わないが
●●●は 『正義』をアンパンマンで 教わった。

アンパンマンのアニメや絵本に 触れていたのは
主に 幼少期だったので、言葉にできるほどアンパンマンの行動の意味を ハッキリと説明はできなかったが、感覚で 何となく理解していた。

今にして思えば、それは『正義』だった。

やなせ たかし先生は、著書の『わたしが正義について語るなら』で述べられている。

『ほんとうの正義というものは、けっしてかっこうのいいものではないし、そしてそのためにかならず自分も深く傷つくものです。』

『そしてそういう捨身、献身の心なくしては正義は行えませんし、また、私たちが現在、ほんとうに困っていることといえば物価高や、公害、飢えということで、正義の超人はそのためにこそ、たたかわねばならないのです。』

『正義のための戦いなんてどこにもないのです。』
『正義はある日突然逆転する。』
『逆転しない正義は献身と愛です。』

昔の世なら、正当な 親の仇討ちも 
現在では、ただの殺人になってしまうのだ。

今、行動をしている人々の『正義』は、献身でも愛でもなさそうである。
ということは、弾弓の免罪符として、振りかざしている  その『正義』は、度合いを超えると 逆転してしまう不確かな『正義』なのである。

早く、この問題が 落ち着いてほしいと切に願っている…。